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大阪地方裁判所 平成7年(行ウ)10号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

末澤誠之

被告

牧方税務署長

松浦清

右指定代理人

岩松浩之

外四名

主文

一  原告の平成四年分の所得税について被告が平成五年七月六日付けでした更正処分の取消しを求める本件訴えのうち、申告納税額四四万三〇〇〇円を超えない部分の取消しを求める部分を却下する。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が平成五年七月六日付けでした原告の平成四年分の所得税の更正処分のうち、課税総所得金額一三七九万五〇〇〇円、納付すべき税額零円を超える部分及び過少申告加算税の賦課決定処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同じ。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、平成五年三月九日、被告に対し、別表の「確定申告」欄記載のとおり、平成四年分の所得税の確定申告をした。原告は、右確定申告において、同年分の総所得金額から控除される医療費(所得税法七三条、同法施行令二〇七条により総所得金額から控除される医療費、以下単に「医療費」という。)の額を二〇〇万円と申告した。

2  被告は、平成五年七月六日付けで、被告に対し、原告の平成四年分の医療費の額は七二万七八三四円であるとして、別表の「更正・決定」欄記載のとおり更正処分(以下「本件更正処分」という。)及び過少申告加算税の賦課決定(以下、本件更正処分と合わせて「本件各処分」という。)をした。

3  原告は、平成五年九月一日、本件各処分について、被告に対し異議を申立てたが、右異議申立ては同年一二月七日付けて棄却された。

4  原告は、平成六年一月一二日、右3の決定について、国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、同所長は、同年一二月二〇日付けで審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決書謄本は、平成七年一月一九日原告に送達された。

5  原告の母甲野春子(以下「春子」という。)は、老人福祉法(以下「福祉法」という。)五条の三に規定する特別養護老人ホーム(以下「特別養護老人ホーム」という。)である「るうてるホーム」(以下「るうてるホーム」という。)に平成三年九月六日から入所していた。

原告は、守口市長に対し、春子のるうてるホームの入所に関し、平成四年中に、福祉法二八条一項に規定する措置費徴収金三二一万三三〇〇円(以下単に「本件徴収金」という。)を支払った。

6  以下の理由により、本件徴収金は医療費に該当する。したがって、原告の平成四年分の課税総所得金額及び所得税額の算出にあたっては、所得税法七三条に定める医療費控除として総所得金額から二〇〇万円が控除されるべきである。

(一) 春子(大正三年一月三〇日生)は、平成三年以降、多発性脳梗塞(老人性痴呆)、糖尿病、慢性肝炎と診断され、これらの疾病に対し常時医療行為が必要な状態であり、自宅介護では生命に危険が伴うが、俳徊のため通常の病院に入院できないことから、特別養護老人ホームであるるうてるホームに入所している。

るうてるホームは、医療機関と同質の施設であって、同所においては、定期的に週一回あるいは必要な場合随時常駐の医師の診療が受けられ、さらに専門的に訓練を受けた職員(看護婦、寮母、ケースワーカー、栄養士、調理員及び看護コンサルタント等)による常時の看護が受けられる。また、「老人保護措置費の国庫負担について」(昭和四七年六月一日厚生事務次官通知・厚生省社第四五一号)が定める算定基準は、特別養護老人ホームにおける医師人件費単価を定めており、特別養護老人ホームには医師を常駐させることを前提としている。

(二) 老人保健法(以下「保健法」という。)六条四項に規定する老人保健施設(以下「老人保健施設」という。)の入所者が同施設に支払う利用料は医療費控除の対象とされている。老人保健施設と特別養護老人ホームは、実際上、その機能及び運営上区別し難い状況であり、看護の仕方についてもその差異はほとんどなく、いずれに入所するかは、施設側の余裕の有無により決まる。仮に、特別養護老人ホームの施設利用の対価たる性質を有する措置費徴収金を医療費控除の対象としなければ、課税において著しく不公平であり、憲法一四条に違反する。

7  よって、原告は、被告に対し、本件各処分の取消しを求める。

二  被告の本案前の主張

本件更正処分のうち、確定申告の申告納税額四四万三〇〇〇円を超えない範囲について、原告は納税額のあることを自認している。したがって、原告には、その範囲について取消しを求める訴えの利益はない。

三  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし4の事実は認める。

2  同5の事実のうち、原告の母である春子が特別養護老人ホームであるるうてるホームに入所中であること、原告が守口市長に措置費徴収金を支払っていることは認め、その余は否認する。

3  同6は争う。

四  被告の主張

1  原告の平成四年分の所得税に係る各所得、医療費控除の金額、その他の控除の金額、源泉所得税額は、別表の「更正・決定」欄の①ないし⑤⑧⑩のとおりである。

2  本件徴収金の中には、春子の年金等の収入に着目して金額が決定され、春子から徴収されているものが含まれ、この部分は、仮に原告の主張を前提としても、医療費控除の対象となり得ない。

3(一)  医療費控除の対象となる医療費は、所得税法七三条二項において、「医師又は歯科医師による診療又は治療、治療又は療養に必要な医薬品の購入その他医療又はこれに関連する人的役務の提供の対価のうち通常必要であると認められるものとして政令で定めるもの」と規定され、これを受けて、同法施行令二〇七条において医療費の範囲が限定列挙され、さらに、所得税法基本通達(昭和四五年七月一日直審(所)三〇(例規)「所得税基本通達の制定について」国税庁長官通達七三―三)が定められている。

(二)  特別養護老人ホームの入所対象者は、福祉法一一条一項二号において、「六五歳以上の者であって、身体上又は精神上著しい障害があるために常時の介護を必要とし、かつ、居宅においてこれを受けることが困難なもの」と規定されているが、さらに具体的には、「老人ホームへの入所措置等の指針について」(昭和六二年一月三一日厚生省社会局通知・社老第八号)により、以下の要件を満たす場合を入所対象者としている。

① 健康状態について、入院加療を要する病態でないこと及び伝染性疾患を有し、他の被措置者等に伝染させる恐れがないこと

② 日常生活動作の状況について、入所判定審査票により、歩行、排泄、食事、入浴、着脱衣の各項目について日常生活動作を検討した上、その検討事項のうち、全介助が一項目以上及び一部介助が二項目以上あり、かつ、その状態が継続すると認められること

又は、精神の状況について、右審査票により痴呆等精神障害の問題行動を検討し、それが重度又は中度に該当し、かつ、その状態が継続すると認められること

ただし、著しい精神障害及び問題行動のため医療処遇が適当な者を除く。

特別養護老人ホームは、右のような入所対象者を養護する施設であるから、家族に代わって日常生活の世話をする「福祉施設」であって、医師等による診療、治療等を受けることを目的とする「病院」又は「診療所」には該当しない。

なお、福祉法一七条一項に基づく「養護老人ホーム及び特別養護老人ホームの設備及び運営に関する基準」(昭和四一年厚生省令第一九号)二三条二項では、特別養護老人ホームに設置される医務室は、医療法一条の五第三項に規定する診療所でなければならない旨定められているが、このことは特別養護老人ホームの施設全体が医療法上の「病院」であることを意味するものではない。

(三)  措置費徴収金は、市町村が特別養護老人ホームへの入所又は入所委託の措置のために支弁する措置費について、原則として、入居者の収入及び扶養義務者の所得税額に応じて決定されるものであり(応能負担)、入所者の受けたサービスの対価性を考慮して決定されるものではなく(なお、措置費は事務費、生活費、移送費及び葬祭費から構成されている。)、所得税法七三条二項、同法施行令二〇七条の各号に該当しない。また、その実質も、生活費的要素を多く含むものであって、入所者の受ける医療行為の対価性を有するものではない。

(四)  なお、老人保健施設は、保健法四六条の一七第一項において、医療法以外の法令(健康保険法、国民健康保険法等を除く)の「病院」又は「診療所」に含まれる旨規定されており、医療法一条の二第二項においても「医療提供施設」として規定されている。このように、老人保健施設では診療または治療行為が行われることが当然の前提とされている。そして、老人保健施設に係る利用料は、直接施設と利用者との間で授受され、その内容は、主として診療又は治療行為の対価であって、それは医療費控除の対象となる。そして、それ以外の日常生活に要する費用は、もちろん医療費控除の対象外となる。

(五)  このように、特別養護老人ホームと老人保健施設とは、その設置目的及び性格等が異なり、その費用負担の性格も全く異なる。

4  以上のとおりであるから、本件徴収金が医療費に当たらないことを前提とする本件各処分は適法である。

第三  証拠

本件訴訟記録中の「書証目録」記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1ないし4の事実、同5の事実のうち、原告の母である春子が特別養護老人ホームであるるうてるホームに入所中であること、原告が守口市に措置費徴収金を支払っていることは、いずれも争いがない。

二  被告の主張1のうち、別表の「更正・決定」欄の④(医療費控除の金額)以外の部分については、原告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

三  原告は、平成四年分の所得税の申告において、課税総所得金額を一三七九万五〇〇〇円、申告納税額を四四万三〇〇〇円として自ら申告しているのであり、右申告に対して更正の請求もせず、申告の無効等の主張もしないから、右申告納税額を超えない部分の取消しを求める部分は、訴えの利益を欠き不適法というべきである。

四  次に、本件徴収金が医療費に当たるかどうかを検討する。

1 医療費控除の対象となる医療費について、所得税法七三条は、医師又は歯科医師による診察又は治療、治療又は療養に必要な医薬品の購入その他医療又はこれに関連する人的役務の提供の対価のうち通常必要であると認められるものとして政令で定めるものをいうもの、と定め、これを受けて所得税法施行令二〇七条は、右の対価とは、①医師又は歯科医師による診察又は治療、②治療又は療養に必要な医薬品の購入、③病院、診療所又は助産所へ収容されるための人的役務の提供、④あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、柔道整復師による施術、⑤保健婦、看護婦又は准看護婦による療養上の世話、助産婦による分べんの介助の対価のうち、その病状に応じて一般的に支出される水準を著しくこえない部分の金額とする旨を定めている。

2 ところで、特別養護老人ホームは、「六五歳以上の者であって、身体上又は精神上著しい障害があるために常時の介護を必要とし、かつ、居宅においてこれを受けることが困難なもの」を入所対象者として、これを養護することを目的とする老人福祉施設である(福祉法五条の三、一一条一項二号、二〇条の五)。すなわち、特別養護老人ホームは、右のような者に入浴、排せつ、食事等日常生活を営むために必要な介護を家庭における家族あるいは扶養義務者に代わって行う施設として福祉法上位置付けられているのであって、入所者に対し医療行為を行うことを目的とするものではない。

3 そして、市町村は、必要に応じて、特別養護老人ホームの入所対象者を当該地方公共団体の設置する特別養護老人ホームに入所させ、又は当該地方公共団体以外の者の設置する特別養護老人ホームに入所を委託する措置を採らなければならず(福祉法一一条一項二号)、右措置すなわち入所に係る費用(措置費)は市町村が支弁する(同法二一条二号)。ただし、当該市町村の長は、その支弁に係る費用について、入所者又はその扶養義務者から、その負担能力に応じてその全部又は一部を措置費徴収金として徴収することができることとされている(同法二八条一項)。

右のように、措置費徴収金については、入所者が特別養護老人ホームにおいて受けるサービスの内容とは直接には関係なく、入所者又はその扶養義務者の負担能力に応じて定められるいわゆる応能負担の原則が採られている。これは、老人ホームの入所者及びその扶養義務者は一般的に負担能力を有していること、老人ホームに入所すれば日常生活に必要なほとんどのサービスが受けられることから、在宅の要介護老人と負担の均衡を図る必要があること、入所者の主体的な利用意識を高めることなどの理由から政策的に定められたものである。このように、措置費徴収金は、入所者が特別養護老人ホームにおいて受けるサービスの内容とは直接に関係がなく、個々の入所者が受けるサービスの対価とみることはできない。

そして、乙第四号証によれば、福祉法二六条一項により国庫負担の基準となる措置費は、「老人保護措置費の国庫負担について」(昭和四七年六月一日厚生事務次官通知・厚生省社第四五一号)により、事務費、生活費、移送費、葬祭費から構成され、右事務費中には医師人件費(常勤医師又は非常勤医師)が費目に掲げられることが認められる。ただ、右の国庫負担の基準となる措置費には個々の入所者に対する医療の対価に該当する項目は含まれておらず、しかも、右乙第四号証及び乙第五号証によれば、右通知において定められている特別養護老人ホームの個々の入所者に係る措置費の支弁額は、当該入所者が現実に受けるサービス内容とは無関係に右基準に従い一律に算定されていて、この額が措置費徴収金の上限とされていることが認められる。

また、甲第一三号証、第一七号証、第二〇号証の一、二によれば、特別養護老人ホームの医務室において診療を受けた場合、措置費徴収金とは別途に入所者に対して右診療に係る医療費(自己負担額)が特別養護老人ホームから請求される扱いになっており、原告においても、春子がるうてるホーム診療所において受けた診療について、措置費徴収金とは別個に医療費(自己負担額)を支払っていることが認められる。

このようにみてくると、措置費徴収金は、特別養護老人ホームにおいて入所者が受けるサービスに対応する対価たる性質を有するものと観念することはできないというべきで、仮に、特別養護老人ホームの入所者に対するサービスの中に所得税法施行令二〇七条所定の前記①ないし⑤に該当するものがあるとしても、同条所定の「対価」たる要件を欠く。

4 以上によれば、本件徴収金は、所得税法七三条二項、同法施行令二〇七条に該当する余地はなく、医療費には当たらないというべきである。

5  なお、原告は、老人保健施設は、入所者の受ける医療、看護及び介護の実態において特別養護老人ホームの場合とほとんど差異がなく、現実には両施設のいずれに入所するかについて入所者の側に選択権はないにもかかわらず、老人保健施設の利用料は医療費控除の対象とされる旨主張する。

しかし、特別養護老人ホームへの入所が行政庁による入所措置に基づくものであるのに対して(福祉法一一条一項二号)、老人保健施設への入所は、入所申込者と老人保健施設との直接の契約に基づくものであり(「老人保健施設の施設及び設備、人員並びに運営に関する基準」(昭和六三年厚生省令第一号)一三条)、入所者が老人保健施設から受けるサービスの対価のうち、食費及び特別な療養室の提供により必要となる費用、おむつ代、理美容代その他の日常生活に要する費用の範囲内において入所者が直接同施設に利用料を支払う(同省令二五条及び老人保健法施行規則二三条の二の二、なお、入所者が老人保健施設から受ける右以外の医療の費用については、保健法四六条の二により、市町村長が老人保健施設療養費を支給することとされている。)こととされており、このように両施設の費用負担の仕組みが異なり、措置費徴収金と老人保健施設における利用料とはその性質を異にするものといわなければならない。

五  結論

以上のとおり、本件徴収金は医療費控除の対象とはならないから、これを前提とする本件各処分は適法である。

したがって、本件更正処分の取消しを求める訴えのうち、申告納税額四四万三〇〇〇円を超えない部分の取消しを求める部分は不適法であるから却下し、その余の本訴請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官八木良一 裁判官加藤正男 裁判官西川篤志)

別紙〈省略〉

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